「ヒップホップは止まらねぇ!」
そう叫んだツイギーは、すでに36歳だったのだろうか。
彼の誕生日を知らないから、その台詞を言った時の彼の年齢が正確には分からないが(聞いたのは05年の冬頃のライブだった)、彼が16歳からラップを始めて、すでに20年が経っている。
それだけのキャリアを持つラッパーは日本には数えるほどしかいない。
日本のヒップホップ黎明期から最前線で存在感を発揮していたツイギーだが、彼が表舞台に出ることはない。だからテレビやメジャーな雑誌しか見ない人には馴染みの無い名前だろう。
しかし、彼が日本のヒップホップを牽引して来たことは事実である。
2006年5月。彼の初となるPVのDVDを見ながら、ツイギーについて書いてみようと思った。
■病弱だった少年時代
名古屋で生まれたツイギーは、病弱でガリガリの幼年時代を送った。TWIGY(小枝)というアーティスト名は彼の細身な外見が由来なのだろう。
彼は10代を80年代という喧噪の中で過ごした。やがてアメリカで誕生したヒップホップというウィルスに感染。16歳の時にDJ刃頭(はず)とビートキックスを結成した。まだ東京にもヒップホップの情報が少ないなか、彼は名古屋でヒップホップを学び、ラップを身につけた。
東京はもっと進んでいると思っていた。必死で練習し、様々なテクニックを刃頭と二人で学んだ。東京に負けないように。
■東京でおっさんに腕を捕まれる
やがて腕試しに東京のステージでラップをして、ステージを降りたら見知らぬおっさんに捕まった。
「僕がやっているイベントに出てくれないか?」。声をかけたのはECDだった。現在は下北沢を歩いてるとたまに遭遇するガタイの良いおっさんだが、当時は痩せていた。
ECDは伝説のイベント「さんぴんCAMP」を96年に主催したことでも分かるように、かつては日本のヒップホップ界のまとめ役をしていた男である。ラップは決して上手くないが、その方向性や精神は当時のヒップホップ界の羅針盤だった。
だが、その後はアンダーグラウンドなヒップホップが、メジャーになるにつれて変形していく姿に耐えきれず、むかしから好きだった酒におぼれ、アルコール中毒となる。
復帰後はメジャーレーベルからインディーズへと移行。現在は文筆業でも優れた才能を発揮している。
そんな彼が06年5月10日に発売される、ツイギーのアルバムのライナーノーツで執筆している。その抜粋がアルバム宣伝用のペーパーに書かれていた。
■ECDのライナーノーツ
『TWIGYは紛れもなく天才と呼んでいいアーティストの一人である。(中略)TWIGYはヒップホップシーン以外からの評価も高い。「この前初めてライブを見たんだけど、TWIGYだけはホント凄いね。ちょっと飛び抜けてるよ」ヒップホップについて詳しくはないけれど、音楽を聴く耳は確かなミュージシャンがこんな風に言うのを聞いたのは1度や2度ではない。
(中略)誰もがTWIGYのようにラップ出来ることを目指した。TWIGYのラップが最も音楽的に高度だったからだ。つまり、日本語でラップをするという試行錯誤の一つの到達点がTWIGYのラップなのだ。今はもう、そこまでやらなくてもいいだろうという者はいても、TWIGYより先に行こうとするラッパーは見当たらない』 (ライナーノーツのECDの文章より)
「ツイギーを見いだした男」というと大げさかもしれないけど、ECDの文章にはツイギーに惚れ込んだ彼らしい誉め言葉が並んでいた。