西武の堤さんとは何者だ?〜義明編1


 堤一族、最後の大物が堤義明である。この義明という人物は、康次郎、清二と比べて一番書きにくい人である。その理由は、すでに故人である康次郎、経済人としては引退した清二に比べ、康明は未だ現役である点にある。

 つまり、評価がまだ確定していない人物なのだ。しかし、それでもすでに数多くの伝説は存在するので、その辺りを中心に紹介してみたいと思う。

■埃の中で育つ

 義明は自らの少年時代を「埃の中で育った」と表現する。これは別に汚い家に居たという意味ではなく、康次郎に連れられ、いつも工事現場にいたという意味である。前述の通り、康次郎と言う人は、箱根、軽井沢、所沢、秩父などを開発したが、義明はその開発地に住み、それが終わると次に開発地へ…。という生活を送っていたのだ。

 彼の母親は康次郎の正妻ではない。つまり、世間で言う「妾の子」である。しかし、本来の長男である清、次男の清二が父親に強い反発を示したのに対し、義明は、父親に反発したという話しは聞かない。それは康次郎が年を取り、すっかり柔和な「仏の康次郎」になっていたせいかもあるだろうが、母と子の母子家庭において、「父親」を名乗るこの男に気に入られることが、母親の幸せに繋がると考えたのだろうと推測される。

 そして、義明は、現場に連れられながら、父親から英才教育を受けた。その内容はいわゆる帝王学だった。二人が交わす会話は親子の会話というより、仕事の仕方を教える親方と弟子のようであったという。

 幼年期をそうして過ごした義明は、高校は麻布高校に進学する。都内でも有名な進学校だ。しかし、当時の同級生にとって彼の印象はあまり強くない。「特別目立つ子ではなかった」というのが、共通した意見だ。

 そんな地味な存在だった彼が、周りが驚くような変貌を遂げるのが早稲田大学への入学後である。彼は1年生の時に観光学会に入る。それからの周囲の彼に対する評価は一変することとなる。


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