新宿歌舞伎町。その中心であるコマ劇場のそばに「新宿ロフト」はある。時間は深夜12時。終電を急ぐ人。朝まで遊ぶ人。その境界線が分かれる時間帯である。
新宿ロフトの道路を隔てた反対側には、すでに "いかにも" なB-BOY達が列を作っていた。ヒップホップのイベントでいつも見かける光景だ。今日のイベントはMSCというグループの中心的存在であり、東京ヒップホップシーンの台風の目でもあるKANの初アルバムのリリースパーティーである。行列にいるのは当日券を求める人々だけ。人数は30人ほどだろうか、まあまあの人数である。
日本のヒップホップ・アンダーグラウンドの世界では名の知れたKANも一般的にはまだまだ無名。これから伸びていくであろう彼のライブレポートは、それなりに価値があると思う。内容的に分からない点が多くてついてこれない人もいるだろうが、今回はできるだけ細かく伝えていこうと思う。
■待つこと2時間30分
「足が痛いなぁ…」。思わずそうつぶやいた。携帯で時間を確認する。深夜2時30分だった。まだKANは出てこない。12時スタートなのでかれこれ2時間30分は待たされている。
その間に元ブッタブランドのCQ、デブラージという大御所がDJプレイを行う。特にデブラージは相当に格好良いソウルやファンクをかける。そのままCDにしたら迷わず購入するだろう。それぐらい素晴らしい。
でも、さすがに長い。周りを見渡す。ライブハウスは薄暗い。客は300人くらいはいるだろうか。ほぼ満員ですぐ隣りにも人がいる状態だ。
やがてステージでDJプレイをする男の元に一人の男が近づき耳打ちをする。DJはうなずきレコードを止める。ちょっと会場の空気が止まる。客席からは「KAN出てこい!」という声が聞こえる。
ステージには巨大な画用紙のような物が貼られ、先ほどからKANのDVDが流されていた。その画面が暗くなり、新たなにプロジェクターから投射された映像が流れ始める。
■意表を突く登場も…
映像は今日の出演者をかっこよく紹介していく。次に、あるマンションの一室を映し出した。そこでKANを始めとする数名が何やらドタバタと演技をしている。それが落ち着くとタバコのような物を吸い出す。
え〜っと大麻です。直接その単語を口にはしてないが回してタバコを吸うほど彼らも貧乏ではないだろう。やがて一人の携帯電話が鳴り「はいよ、新宿2丁目ね」と言うと、電話を切り「行くぞ」と周りの連中に声をかける。
室内にいた人たちは立ち上がり車に乗り新宿の街を走る。KANは車内でフリースタイルらしき、ラップをくちずさむ。
到着したのは、私にも見覚えがある景色だった。そう、我々が12時の時点で下りてきた新宿ロフトの階段である。ここで音声が途切れる。再び会場から「KAN出てこい」の声が聞こえる。
するとトラックに合わせて若い3人のラッパーが登場し、ラップを披露する。だが、しょせん前座。客の目的はKANだけである。一部の盛り上がる人を横目に大半の人はじっとステージを見つめる。ステージのスクリーンには、楽屋の様子がリアルタイムで映っている。
続いてKANのアルバムの曲が流れる。いよいよである。だが、アルバムの中ではラップが始まるタイミングになっても、まだKANは現れない。さすがに苛立った観客の空気が沸点を超えようとした瞬間、目の前のスクリーンを破り、KANが登場した。
観客は手を挙げて前に突っ走る。すごい人だかりだ。前列の方にいた私はもみくちゃになった。一方で私は覚めている。KANに近づこうとする観客と私の間に温度差があるのだ。私は決してKANのファンではない。鑑定人である。だから、さり気なく後ろに後退し、その渦からなんとか逃れた。
というか、盛り上がるほどの元気がなかったのだ。とにかく2時間30分は待たせすぎ…。
■デブラージの登場だ
登場と同時に一曲披露したKANは、ここでMCに入る。
「どうやら流行のインフルエンザとかいうやつにかかったようだ。俺が今日、最初にしたこと。一個上の先輩に電話してカイロ。カイロプラクティックで喉の声帯を開けてもらったから大丈夫だ」
そのセリフに盛り上がる観客。続いて曲の説明に入る。
「俺はさ、この業界に入ってずっと突っ張ってきた。イキがってきたよ。だって、そうだろ、そうしなきゃ、俺達は上に上がれないからな。でも、昔からヒップホップをやっている人にもすげぇ人がいる。いくぞ、おまえら。いきなり行くぜ。アルバムの3曲目と言えば分かるだろ」
伝説のグループ「ブッタブランド」のデブラージがフーチャリングで参加した、今回のアルバムで一番かっこいい曲、『毒立毒歩』をいきなり披露したのだ。そして、もちろんデブラージはすでにステージに上がっている。
「キエるマキュウ」のMaki the Magicのトラックが会場に響く。正直、私はデブラージを初めて見る。高校時代からの憧れの人物の一人である。うわぁ、緊張するぜ、と思ったら、いきなりデブラージのフック(サビ)のバース(小節)をKANがラップし出す。ついでにステージにいる有象無象の連中(MSCのメンバーだと思われる人々15人くらい)も一緒にラップする。
おいおい、肝心のデブラージの声が聞こえないよ。・・・いや、聞こえる。小さく聞こえる。すでにデブラージのフックは終わってKANのラップが始まっている。再びフック。デブラージの出番である。あれ? ぼーっとしてるのか、全然準備できてないぞ、おい、と思ったらKANがフックの部分のラップを初めてから、デブラージは慌ててマイクを口に持っていく。明らかに油断してやがる。しかも、歌詞間違えやがった。
最後のフックでも、デブラージは自分の番だと気付かずに後からラップしていた。もうダメだ。おじいちゃんだ。デブラージは曲の最後にKANを指さして大きな声で「カ〜ン!!」と叫んでいたが虚しかった。
圧倒的なキャリアの差、実力の差を見せつけると思いきや、ボケ老人のような醜態。私はここでヒップホップ界の新旧交代を見た気がした。DJでかけた曲は格好良かったのに…。